院長プロフィール

西浦弘治

昭和30年7月1日58歳 血液型B

HPをご覧いただきありがとうございます。
なぜ私が柔道整復師に目指すようになったのかその経由を書きたいと思います。

20歳ごろより地元香芝で現在の接骨院が立っている場所にて自営業を営む。
この頃の仕事では人との関わりは少なく、自営業をしながらも何か人に喜ばれる仕事がしたいとずっと思っていました。
32歳の時、新聞で見つけた接骨院の先生の記事に感銘を受けすぐに新聞の記事を書いていた先生に連絡を取り、私も柔道整復師になりたいと伝えました。先生も快く、色々と教えて下さり、専門学校に入学すること。卒業後に国家試験を合格して免許を取ってはじめて出来る職種だと教えて頂きました。
そして詳しく聞いてみて分かった事ですが、柔道整復師というのは当時、国家資格でありながら、学校への入り口は狭く、32歳の私が入学できる学校はとてもありませんでした。
もし、チャンスがあれば私もこの仕事に就きたい。この時強く思いました。

転機が訪れたのは47歳の時、息子が18歳になり、私の手から離れる年齢にもなり、このタイミングしかないと思い、長年の夢だった柔道整復師を目指すことにしたのです。
簡単に書きましたが、本当に入学までが大変でした。

47歳当時、柔道整復師の職への規制緩和により専門学校が関西にも多く出来てきており、とても入学しやすい状態でした。
しかし私の年齢は当時47歳。当時新設校であった大阪ハイテクノロジー専門学校に願書を出し続け、5回目の募集でやっと入学することができたのです。

そしてずっと交流のあったあの新聞記事の柔道整復師の先生にお話させていただき、神戸で開院されている、冨金原伸五先生を紹介して頂き師事し、家族を残し単身神戸に渡り鍼灸整骨院鷹ノ羽に勤めるようになりました。

専門学校の三年は、朝早くから夕方から仕事し、夜間部で専門家になるための勉強をするというそういう生活でした。
解剖学、生理学、生物学、心理学、外科学等、様々な専門的な勉強をしました。
この三年間で私も50歳になり、体力的にとても大変だったと記憶しております。
そして無事国家試験に合格。
後神戸で7年間修業し、平成24年の10月10日、57歳の秋、32歳から25年の時を経てやっと念願の接骨院を開業するに至りました。

このような経由で私は柔道整復師になりました。
私のモットーは諦めない心。色々な経験を積み重ね、長年の夢をかなえた私だからこそ、自信を持って言えます。
患者さんに対しても施術に対しても諦めない心を持って接し、必ず良くする気持ちで日々施術をしています。
どうぞよろしくお願いします。